卒業生の声

卒業生の声(2014年度)

悩みながら乗り越えた大学受験 (2014年度卒業生)Y・Rさん

私は高校1年生の6月にゴールフリー高等学院に転入してきました。当初の私は、「こんなはずではなかった・・・。」という思いが強かったです。自分が思い描いていた高校生活と現実との差に、なかなか気持ちの整理がつきませんでした。

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でも、こうなってしまったのは自分のせいなのだから、愚痴や弱音を吐いて良い立場ではないと思い、「それでも頑張ろう。」と自分を奮い立たせて毎日過ごしていました。

しかし、日が経つにつれて、辛くなる一方でした。周りからの心無い言葉や好奇の目に苦しみ、人を疑うようになりました。

なんとか人に感情を読まれないように、平静を保つように努めてはいましたが、自分を保つことができなくて、周りの人にきつく当たってしまうことがしばしばありました。また、せっかくかけてくれた優しい言葉も素直に受け止めることができませんでした。

そんな自分が嫌になり、次第に、「自分一人だけでやっていく。」という考えに変わっていきました。

そんな私をずっと心配してくれていたのは先生方でした。

話を聞いてくれようとした時も、私は自分の気持ちをなかなか言葉にできず、ただ泣いてばかりでした。それでもずっと付き添っていてくださいました。私にとって、それは大きな支えでした。

心を閉ざしてきていたけれど、「この人は信用していいんだ。」と思いました。

また、私は年上の方と接する機会が多く、気にかけて下さる先生やコーチの方がいました。中には、自分が抱えていることを話して下さった先生もいました。

自分と同じような思いを持っている人がいることを知り、「自分だけではないんだ。」と少し気持ちが楽になることもありました。ゴールフリー高等学院でさまざまな人と出会い、自分の考えの狭さにも気づかされました。

ゴールフリー高等学院に転入してきて、初めてきちんと将来と向き合いました。当初、私は薬剤師志望でした。でも、「なぜやりたいの?」と聞かれたとき、私は何も答えることができませんでした。薬剤師の仕事がしたいという気持ちより、名声や将来の安定を求めていたのだと気づかされました。これまで何かをしたいと思って行動することがなかったと気づき、虚しく感じました。

そんな中、先生の計らいで、薬学部に通う現役大学生の方と話をする機会をいただきました。話を聞いてみて、やはり自分の薬学に対する興味の薄さを感じました。それから、自分のやりたいことを探し始めました。

私はもともと理系に進みたいと思っており、また、ものを作ることが昔から好きでした。そこで見つけたのが“建築”という分野でした。

私は高校2年生の夏に建築系に進むことを決意し、真剣に勉強し始めました。高校の内容はほぼ一からのスタートでした。何もかもわからないことだらけでした。そんな時に助けとなったのはコーチの方でした。理解できていなくても「わかった。」と言って曖昧にしてしまう私でしたが、そんな時でもきちんと理解できるまで丁寧に教えて下さいました。

自分で勉強を進めていかなければならないゆえに、孤独な面もありました。その時は、相談相手にもなっていただきました。また、理由は違えど、同じようにゴールフリー高等学院に通っている人たちが夢に向かって努力している姿は、自分自身への励ましとなりました。 勉強を進める一方で、悩んでいたこともありました。国公立大学か私立大学どちらにするかということです。ゴールフリー高等学院に転入するまでは国公立大学志望でした。しかし、本格的に勉強を始めて、自分のできなさに失望したり、時間のなさに焦りを感じていました。とても5教科7科目に手を出す心の余裕はありませんでした。

そこで私立大学志望を選択しました。複雑な気持ちでした。何かに期待することへの恐れから、「ここに行きたい。」というはっきりとした意思を持ってこなかったゆえに、「これでいい。」と自分に言い聞かせている部分もありました。同時に、自分に言い訳をして逃げているだけではないかという思いもありました。

そんな葛藤の末、私が出した答えは国公立大学受験でした。高校2年の冬でした。不安ながら、先生にそれを伝えた時に、先生が、「大丈夫、まだ間に合う。」と背中を押して下さったことが、大きな力になりました。

それからは迷うことをやめ、文系科目も追加して、受験勉強に集中しました。先生方、コーチの方々の支えもあり、無事に現役で第一志望の国公立大学に合格することができました。
私の軽率な行動、甘い考えで傷つけてきた人がたくさんいると思います。私自身、失ったものもたくさんありました。しかし、ここで得られたものもたくさんありました。

ゴールフリー高等学院で過ごした日々は、私にとって自分を見つめ直すために必要な時間だったと思います。まだまだ未熟なところもありますが、自分の足できちんと前へ進んでいけるよう、気持ちを強く持っていきたいと思います。

長い間、お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

あきらめずに支えてくれた先生との出会い(2014年度卒業生)I・Yさん

私は高校2年生の夏休みから、友達関係が上手くいかなくなり、クラスにも馴染むことが出来ず、不登校になってしまいました。学校に行った方が良いとか、勉強しなくちゃ、と考えては、やっぱり辛くて一歩が踏み出せないということの繰り返しでした。

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そんな時、両親に将来のことや自分自身がどうしたいかを聞かれ、まず最初に思ったことが、どうしても大学に行きたい、ということでした。

大学へ行くための勉強をするにはどうすればよいか悩んでいた時に、通信制高校の存在を知り、「大学に行くために通信制高校に通いたい。」と両親に伝え、通っていた高校からゴールフリー高等学院への転入を決めました。

私は、高校1年生の時から京都産業大学が第一志望だったのですが、約半年間全く勉強していなかった自分には少し高すぎる目標なのではないかと不安に思っていました。

ですが、ゴールフリー高等学院の先生方から、「志望校は下げなくても大丈夫。」と言っていただいて、とても安心することができました。

単位を取るための勉強が終わるとすぐに受験勉強に取りかかり始めました。最初に先生方が年間スケジュールを立てて下さったので、これから何をすればよいのかがとても分かりやすかったです。それからはほぼ毎日学校に通い勉強を続けていました。

しかし、受験前の最後の模試で思ったように点数が取れず、E判定になってしまい、全くとっていいほど勉強が手につかなくなってしまいました。このままでは駄目だと思いつつも、受験までの時間がないのに学力が足りていないのかもという不安と、周りの友人たちの中にはもう合格している人がいるのにという焦りで、もう無理かもと思っていました。

ですが、私がそんな状態になってしまっても、先生方はあきらめずに励まして下さり、あと少しの期間どのように勉強すればよいかのアドバイスも下さり、第一志望を変えることなく受験することが出来ました。

先生方のお力添えがあり、まずは滑り止めの大学に合格することが出来ましたが、前期では第一志望の京都産業大学には合格することが出来ませんでした。
その時の私もかなり落ち込んでしまったのですが、それでも先生方はあきらめておられず、次の入試までにできることを教えて下さったおかげで、私もあきらめずに最後まで頑張ることが出来ました。

その甲斐あって、中期試験で第一志望である京都産業大学に合格することが出来ました。

1年ほど前までは不登校だったのが、学校へ通えるようになり、大学に合格できたのもたくさんの方々の支えがあったからこそだと感謝の気持ちでいっぱいです。

この気持ちを忘れずにこれからもがんばっていきたいです。

絶望の日々からの復活(2014年度卒業生)I・Aさん

私は高校1年生のとき、がんを発病しました。高校に入学して友達もでき、楽しい高校生活を送れると思っていた矢先のことでした。これからも当たり前のように続くと思っていた生活が、がんという病気によって一気に壊されたのです。診察を受 けた翌日から入院が決まり、自分の気持ちに整理もつかず、友達に入院すると報告する間もなく闘病生活が始まりました。

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死をも覚悟したこの病気を克服するには8か月の入院生活が必要でした。そのため、学校には全く通えず、夏休みが終わるころには学校の先生に進級は難しいだろうと言われました。

この病気に、退院してからの戻る場所さえも奪われてしまったのです。

それからの私は、病気を克服してまた友達と楽しい高校生活を送るという目標を失い、絶望の日々でした。そして、何とか病気は克服し退院することはできましたが、学校に行くことはできず、この先の将来のことを考えることもできず苦しんでいました。

そして、新年度を迎え、せめて高校だけは卒業しようという目標を立て、ゴールフリー高等学院に転入してきました。

最初は通信制高校という偏見もあり、友達はできずあまり楽しめないだろうと考えていました。しかし、入学してすぐに友達ができ、毎日学校に通うようになりました。先生方もやさしく接してくださり、スポーツジムに一緒に通うほど仲良くしていただいています。

そのような楽しい高校生活を送る中で、私は入院時にリハビリでお世話になった理学療法士の方に憧れて理学療法士を目指すようになりました。

しかし、私は高校に入学してすぐに入院してしまったため、大学受験のための勉強がほとんどできていませんでした。だから、先生に勧められた小論文入試を受けることにしました。

小論文の勉強を始めたころは、何を書いていいのか全く分からず、一文字も書くことができませんでした。その時は、本当に書けるようになるのか不安でいっぱいでした。勉強を始めてしばらくは先生にこのように書こうと助言をしてもらった通りに書くだけで、自分の考えを書くことができず、不安がしかありませんでした。

不安は長く続き、少しずつ書けるようになっても解消されることはありませんでした。そんな私に先生は、いつか書けるようになると励まして下さり、完全下校の時間が過ぎてもマンツーマンで教えて下さいました。

そして、小論文に費やした時間が増えるごとに不安はなくなっていき、600字、800字と自分の力で書けるようになりました。

そのようになるには先生の存在なしではありえませんでした。そしてもう1人、私の助けになった人がいます。別の大学ではありますが、私と同じ小論文入試を受ける友人の存在です。その友人とは、同じ時期に小論文の勉強を始め、小論文を書けない不安や心配を共有してきました。

その友人がいなかったら、私は不安につぶされていたと思います。友人がいたことで競争心も生まれ、友人に負けないように自宅でも勉強するようになりました。

お互いに良い刺激を与え合い、ともに高めあってきた友人の存在もあり、私は現役で第一志望の大学に合格することができました。

合格できたことによって、私は病気を経験したことを少し感謝できるようになりました。これまでの私は、全てを奪った病気を恨んでいました。楽しかった高校生活、小学校の頃から続けてきた大好きなサッカーができる身体、そして、好きなものを食べ、座り、立ち、歩くなどの当たり前の日常生活をこの病気に壊され、私は一生この病気に感謝することはないと思っていました。

しかし、今では理学療法士を目指すきっかけになったのもこの病気で入院したことであり、この経験がなければ動き、話し、食べ、寝るなどのことが当たり前にできることの幸せを感じることもありませんでした。そして、ゴールフリー高等学院のことも知らず、先生にも出会っていなかったと思います。

このように、私の進路が決まり、人としての生き方を変えることができ、病気の経験がなければ出会うことはなかったであろう主治医の先生、看護師さんたち、理学療法士の方、学校の先生、友達などに出会うことができ、私はこの経験に感謝するようになりました。

このような気持ちになったのも、無事に大学に合格することができ、明るい将来が見えてきたからだと思います。それはゴールフリー高等学院で関わった方々がいたからです。もし他の学校に行っていたらこうはならず、今でも病気を恨んでいたと思います。

私が今、笑顔でいられるのはゴールフリー高等学院のお陰です。

挫折した自分を卒業(2014年度卒業生)F・Rさん

2年生の12月、私はゴールフリー高等学院に転入してきました。当時の私は、学校に馴染めるのか、ちゃんと通うことができるのかなど、様々な不安がありました。

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そもそもなぜ転校してきたかというと、高校1年生の3学期の途中から不登校になってしまったからです
不登校の原因は友人や家族との人間関係がうまくいかなかったことによるストレスからうつ状態になったことでした。

カウンセリングを受けたり、病院に行ったりして、徐々に症状は回復し、高校2年の夏休みには先生に1対1で勉強を教えてもらったりして、2学期からは少し学校へ行けるようになりましたが、クラスに馴染めず、授業にもついていけずに結局また不登校になってしまいました。

授業には出るだけでいいから来てほしいと先生はおっしゃられましたが、私はそれに納得できませんでした。何より、友人から「ひきこもり」「サボリ」と言われたことがつらかったです。私はこの学校で過ごすことはもう無理だと思い、転校することを決めました。

転校先を考え始めてから少しして、母がゴールフリー高等学院の説明や卒業生の体験が書かれている広告を見つけてきました。卒業生の体験記に興味をひかれ、詳しい説明を聞くために学校を訪れました。

さまざまな話を聞くうちに、ここに移ろうという思いが強くなりました。中でも決め手となったのは、個人に合わせて学習内容を決めてもらえることでした。長い間まともに勉強をしていなかったため、1日に多くの勉強ができる自信がなかったからです。それから急いで手続きをして、12月から通うことになりました。

 いざ通い始めてみると、先生やコーチはとても話しやすく、緊張はすぐになくなったように思います。先生やコーチを通じて他の子と仲良くなれたり、ほぼ月1回の校外学習で生徒同士が接する機会も多く、すぐに友達もできました。気がつけば、学校に行くことが楽しみになっていました。転入した当時の不安は、全く心配のないことだったと今は思います。

 問題はやはり勉強の方でした。私は英語が最も苦手でした。年間学習プランの表をもらいましたが、どうしても英語が足を引っ張り、計画通りには進みませんでした。6月からはそれまでの倍くらいの勉強量になる予定でしたが、結局その量もこなせませんでした。

 計画通りにこなすことができない自分の情けなさに腹が立ちました。こんなことでは受験で受かろうなんて到底無理だと思いました。

 そんな時に先生から勧められたのは、小論文で入試を受ける方法でした。ゴールデンウィーク中に受けていた模試の結果のうち、国語が他の教科より点数が高かった、そこから先生は私には国語力があると見出し、小論文入試を勧めて下さったのです。

 私自身、そんな自覚はなかったし、そもそも文章を書くのも得意ではなく、小論文に関しては一度も書いたことがなく、堅い難しい文章という印象しかなかったのです。

 正直、不安しかありませんでしたが、今の自分にはそれが最善なんだと思い、小論文入試を受けることを決めました。

 8月から小論文対策講座の映像授業と新聞のコラムの要約を始めました。小論文の書き方や、文章の要約の方法を学び、9月からは早速小論文を書いてみることになり、テーマが書かれた紙と原稿用紙を受け取りました。

 最初のテーマは「社会生活におけるルール」について自分の考えを書くというものでした。全くもって書けませんでした。書き方は映像授業でしっかり見たから知っている、しかし、「社会生活におけるルール」の何について書けばよいのかが全く思いつきませんでした。

 考えれば考えるほど頭の中が混乱し、2週間たっても原稿用紙は真っ白なままでした。そこで福田先生と一緒に小論文を書くことになりました。

 一緒にと言ってもほとんど先生が言ったことをそのまま書いていました。そうしてやっと一つのテーマに対する小論文が書けました。次のテーマもその次もそんな感じで書いていましたが、書いていくうちに少しずつ考え方や書き方を覚えていきました。

 秋休みに入る前、友人が加わり、3人で小論文を書く練習をすることになりました。先生の手が空いている時間に集まり、助言をもらいながら書くという日々が続きました。

 秋休みや休日も学校に来て、たくさんの小論文を書きました。初めて書こうとしたときは全く書けませんでしたが、少しずつ書けるようになり、それを実感した時はうれしかったです。

 10月には課題文に対する自分の意見を書くというものや、それぞれが目指す大学の過去問を練習しました。出題方法の変化に戸惑い、時には書けずに落ち込むこともありました。次第に友人の方が小論文を書き終えるのが早くなり、私は焦りを感じました。その上、時間内に書ききることができないことに悔しさと憤りを感じました。

 そんな私を友人はいつも励ましてくれました。そのおかげであきらめることなく小論文に取り組めたと心から思います。私1人でやっていたら途中で投げ出していたのではないかと思うと、生徒2人と先生の3人で取り組めたことは本当に良かったと感じています。

 小論文に取り組んだ期間は約4ヶ月でしたが、あっという間でした。

 11月上旬に私は2校の小論文入試を受けに行きました。受験会場に行くまでに、今までに書いてきた小論文の束を見返していましたが、その量に驚きました。これほど書いたとは思っていませんでした。その量に私は少し自信が持てました。

 1校目は3日間の併願、2校目は1日勝負でした。自信を持って試験に臨めたものの、やはり緊張はしました。正直、試験当時のことはほとんど覚えていません。ただ、どの試験も時間内に書ききることができたという達成感は思えています。

 結果はどの試験も合格で、とても安心しました。しかし、私の第一志望は11月に受験する大学でした。その大学の過去問を見て、私は驚愕しました。今までとは問題数も時間も多かったからです。実際に書こうとしましたが、課題文の内容も難しく、今までに取り組んだことのない資料読み取り型の問題もあり、心が折れかけました。いや、正直折れていたと思います。

 受けに行かないという選択肢があることはわかっていましたが、それだけは嫌でした。やれるところまでやり切りたい、その思いが強かったです。  結局練習では半分以上が白紙という散々な結果が続きました。本番で書ききれる自信は全くありませんでしたが、全力でぶつかろうと迎えた試験当日。試験時間は150分だったのですが、とても短く感じました。

 最後の問題を書いている途中で試験時間は終了しました。書ききれなかったかと悔やむ一方で、やれる分はやりきったという達成感がありました。

 結果は不合格でしたのでもちろん悔しい気持ちはありますが、今は自分なりに納得しています。

 第一志望は残念ながら不合格でしたが、第二志望の3日目の点数が、私が志望した学科の最高得点だったことが非常に嬉しかったです。小論文を書き始めたころは、こんなことは夢にも思いませんでした。

 このような結果が残せたのは、先生をはじめ、友人やコーチ、家族の支えがあったからだと心から感謝しています。私はこの学校へ転入してきて本当に良かったと思います。

 これを書いているのは年末。あと私がこの学校で過ごす時間は3ヶ月もありませんが、進学の準備をしながら友人や先生と良い思い出を残したいです。

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