2025.04.29「面倒臭い」とどう向き合うか

みなさん、こんにちは。

今日のテーマは「面倒臭い」です。
私は極度の面倒臭がりです。
日々、「面倒臭い」と思う場面が非常に多く
ついそれから逃げてしまうところがあります。
子ども達の中にもそういうコが非常に多いのですが
日常生活においてはともかく、勉強において
中でもとりわけ数学における「面倒臭さ」に対する
向き合い方に関しては真逆だと感じています。

すぐに面倒臭がる子どもたちに対して
よくこんなことを話します。

そもそもの前提として勉強は面倒臭いものである。

それを事実であると仮定するのであれば
大切なのは向き合い方です。
その向き合い方については以下の3つがあります。

①逃げる
②受け入れる
③それを少しでも緩和する方法を考える

私の日常生活においては、恥ずかしながら
①が非常に多いと思います。
絶対にやらなければならないことを除いては
つい①を選択してしまう弱い自分がいます。
しかし、絶対にやらなければならないことや
目的達成のために避けられないことである場合
選択肢は②か③のどちらかとなります。

子ども達の立場で考えればどうでしょうか?
目の前の数学の問題を「解く」ことが目的の場合、
①も選択肢となります。

「解く」のが目的ですから、とりあえず解ければOK。
正解・不正解は二の次。
間違えても横にいる先生が教えてくれる。
だから、問題をよく読まずに解いてしまう。
だって、読むのが面倒だから。
ノートに書く答案も、丁寧になんて書いていられない。
解ければ良いし、そもそも丁寧にノートに書くなんて
面倒だから。

①を選択するとは、こういったところでしょうか。
たしかに、とりあえず「解く」ことが目的なら
それも理解できます。
ただ、そういったことを面倒がるコたちが、一方で
こんなことをしていることもあります。

ちょっと工夫すれば簡単になる計算過程で
何の工夫もせずに真正面から面倒な計算をする。

普通に解いたら面倒なことになるのが見えているのに
とりあえず解いてみる。

面倒なことを受け入れていますから、②にあたります。
しかし「できるように」「得意に」「点が取れるように」
が目的だとすると、これはまさに真逆のことを
やっていると言えます。

最初に述べたように、そもそも勉強は面倒なものです。
その面倒を受け入れる必要がある場面はあります。
問題をよく読むなんてのは当然のことです。
たしかに長文の問題を読むのは面倒ですが、きちんと
読むのは当然のことです。
ノートを丁寧に書くのも当然のことです。
ノートは「未来の自分のために」書くものです。
今は理解していても、1ヶ月後の自分が解けるのか?
わからなくなった自分のために書いてあげるものです。
答案もそうです。
自分のための答案は独りよがりです。
答案は採点者に読んでもらうものですので
面倒でも丁寧に書くのは当然です。
言葉足らずで減点されるコは、この視点が足りません。

一方で、面倒臭さを緩和する方法を考えることも大切。
それは数学を学ぶことの意義にも関係しています。

どうすれば楽に解けるか?
どの方法が最も速く解けるか?

常にそういったことを意識し、解くべき教科が数学です。
それを意識することが「面倒臭い」と思わなくなること
それが大事なのではないかと思います。

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