2025.05.27言葉に敏感であること
みなさん、こんにちは。
今日のテーマは「言葉に敏感であること」。
授業をしているとき、自分と生徒の差について
考えることがよくあります。
先生と生徒ですから、もちろん、知識の差などは
あって当然です。
したがって、そういった差ではなく、もっと些細な
ちょっとした差について考えています。
知識などの差を埋めるには時間がかかりますが
ちょっとした差であれば埋めることは可能です。
そんな差のひとつに言葉に対する感覚の差
というものがあります。
以前、Apple社の採用試験として有名になった
問題の一つに、コインの表裏に関するものがあります。
問題の概要は以下のとおりです。
目の前に100枚のコインがある。
うち10枚だけが表を向いている。
目隠しをして100枚のコインを2つのグループに分け
その2つのグループの表になっているコインの枚数を
同じになるようにせよ。
ただし、表裏は触ってもわからないものとする。
この問題を何人かの生徒に出したところ
正解者は誰もいませんでした。
僕自身は、すぐに解くことができましたが
これは、別に解けたことを自慢するためではなく
生徒との「言葉に対する感覚の差」を感じたために
書いています。
興味深いことに、生徒の中には
「2つのグループに分ける」という表現から、勝手に
「50枚ずつに分ける」と決めつけているコたちが
何人かいました。
また「表になっているコインの枚数を同じになる」
を「表が5枚ずつ」と決めつけているコもいました。
一方、僕はなぜすぐに解けたかというと
「50枚ずつ」や「均等に」という表現が使われておらず
「表が5枚ずつ」と書かれてもいないことから
むしろ「50枚ずつに分けず、5枚ずつにもならない」
というところからスタートしたからに過ぎません。
50枚ずつに分けないとすると、真っ先に考えるのは
「10枚と90枚に分ける」というパターンです。
この時点で表の枚数が同じになるのは5枚ずつのみ。
それは単なる偶然に過ぎませんから、次に考えるのは
「10枚を裏返してみる」となります。
10枚のうち何枚かを選んで裏返すとなると
偶然に左右されるため、当然10枚全部で考えてみます。
表が0枚のとき、1枚のとき、といくつか考えてみれば
その考え方の妥当性がある程度はわかります。
最後に「表がx枚のとき」で考え、正しいと確信する
といった感じでしょうか。
つまり、何が言いたいかと言うと
同じ言葉・文を見ても捉え方が全く違うことがあり
その違いが正解・不正解に直結することがある
ということです。
たとえば、3点A,B,Cがあり「直線AB上に」と
書かれている場合に、勝手に「線分AB上に」と
決めつけて解こうとするコがいます。
また、最高位である二次の項が文字係数の方程式で
「方程式」としか書かれていないのに、勝手に
「二次方程式」と決めつけて解くコもいます。
対して、教える側はわざわざ「直線」「方程式」
と書かれていることに違和感を感じ
「きっと、線分ABの外に点を取るんだろうな」
「1次方程式の時も答えになるんだろうな」
と思いながら問題にあたります。
本格的に問題を解こうとする前段階で既に
つまずいてしまっているコが多いのです。
もちろん、こういったことは教えれば納得します。
しかし、納得できたところで、その後も同じことを
繰り返すようであれば意味がありません。
対症療法的な処置でなく原因療法的に処置しないと
こういったことは改善しないので、教える側の
意識や技術が問われるものでもあります。
点数を上げるには、知識や解法を教えるだけでなく
こういったことにも目を向けて指導することが
必要となってくるということをコーチたちに
教えていくことも僕の大切な仕事だと思っています。