2026.05.2427通り
昨日、高1生に数学を教えていたときのことです。
ちょうど「確率」の単元に入ったばかりで
次のような問題が出てきました。
A,B,Cの3人でじゃんけんをする。
AとBが勝つ確率を求めよ。
ご存知の方も多いと思いますが、確率の計算をする際には
分母に当たる「すべての場合の数」が必要です。
今回の問題であれば
じゃんけんにおけるグー・チョキ・パーのわかれ方が
全部で何通りあるか?
を考えなくてはなりません。
中学生でも解ける問題ではありますが、中学生の場合は
樹形図を描いて考えるのが基本です。
樹形図を描けば、全部で27通りあることはよくわかります。
しかし、高校生なので
これぐらいは計算で求めてほしい。
というのが正直なところです。
ところが、これが意外なほど間違えてしまうのです。
では、どのように考えるのがよいのでしょうか?
これは、言い方を変えれば
どのように教えればよいのか?
ということでもあります。
もちろん、教え方は人それぞれです。
どの教え方が最も良いというわけではありません。
ただ、僕は生徒との間で
次のようなやり取りをしました。
2個のサイコロの目の出方は何通り?
ー 36通り。
そやな。式は?
ー 6×6
じゃあ、3個のサイコロだと、どういう式になる?
ー 6×6×6
うん、そうやんな。
じゃあ、こう考えてみて。
3人でじゃんけんをするというのは
「3人が、目が3つのサイコロを振った」
ってこと。
これを聞いた生徒は、とても腑に落ちた様子を見せました。
さて、僕は何が言いたいのか?
僕は、解き方や考え方そのものを
ストレートに教えていない
ということです。
もちろん、そのコにとって初めて学ぶ内容については
新しい知識や考え方など、文字通り「教える」必要があります。
しかし、そればかりではいけません。
そのコがすでに持っている知識をうまく活用すれば
自分自身で気づけるのであれば、気づかせてあげる。
僕は、このことが非常に大切だと思っています。
つまり、「教える」とは
自分で気づけるための
思考の流れを作ってあげること
ではないかと考えています。
このような「自分で気づいた」という経験は
単に教わった知識よりも記憶として定着しやすく、また、
「先生がこんな言い方をしていた」
という記憶もエピソード記憶として残りやすいと言えます。
新人コーチたちには、単なる指導技術だけでなく
こういった
「教える」ということの本質
も研修で学んでもらいたいと考えています。
