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2026.09.25Newトランプを知らない子どもたち

以前、よく見たテレビでの一幕。
若者が、いかに常識や教養がないかを揶揄するような
街頭インタビューが行われていました。

「現在の日本の内閣総理大臣の名前をフルネームで」

正しく答えられない若者を見て、

「なんと常識・教養がないのか」

と、視聴者は思ったものでした。

さて、今回のタイトル。

トランプを知らない子どもたち

内閣総理大臣の名前を知らないぐらいですから
アメリカのトランプ大統領を知らないなんて
驚くようなことではない。
そう思った方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、これ
実は、トランプ大統領のことではなく
ポーカーなどに使う「トランプ」のことなのです。

夏期講習で中3生に数学の確率を教えていた時のこと
問題文に

ジョーカーを除く52枚のトランプがある

と書かれていました。

ここで、僕は「念のため」確認します。

「トランプの仕組み(52枚)ってわかる?」

すると、生徒はよくわかっていなかったのです。

実は僕自身、ここ数年、トランプが出てくるたびに
「念のため」確認するようにはしていました。

そして今年、初めてトランプを知らないコに出会いました。

ただ、トランプを知らないからといって常識や教養がない
とは思いませんでした。むしろ、

「そういう時代になったのだな」

と、自分の常識をアップデートする機会になった。
そう思ったのでした。

考えてみれば、トランプを知らないのも
実は当然のことなのかもしれません。

昔は家族や友達と遊ぶときにトランプをする。
自然と、そのような機会に恵まれていたのでしょう。

今は、僕たちが子どもの頃と違って、スマホやSNSなど
身の回りに娯楽がたくさんあります。
その結果として、今の子どもたちにとっては
トランプに触れる機会そのものが少なくなっている。
そう考えれば

トランプを知らない

というのは、決して不思議なことではありません。

よく考えてみれば、今まで当たり前のようにトランプや
サイコロが出てきていました。
でも、それって

トランプやサイコロくらい、知っていて当然

という前提のもとで成立していたわけです。
そこに、何の疑問を挟む余地もありませんでした。

ただ、どこまでを「知っていて当然」とするのか?
考えれば考えるほど、その線引きは難しい。

たとえば、もしトランプではなく花札をテーマに
出題されていたら、僕は戸惑います。
花札のことは、全く知らないからです。

でも、現実には、花札が問題として出題されることは
今まで一度もありませんでした。
しかし、なぜ

トランプは「知っていて当然」
花札は「知らなくても仕方がない」

のか。

そこには時代背景や社会での一般的な認知度など
いろいろな理由があるのでしょう。

ただ、今回の出来事で僕が改めて考えさせられたのは、

 自分にとっての当たり前は、
   本当に相手にとっても当たり前なのか?

ということでした。

何が言いたいのか?

常に、自分のそれまでの常識を疑う。

指導者は、この必要性と重要性を意識すべきだ

ということです。

子どもたちに「知らないこと」を教えるのが
僕たちの仕事です。
だからこそ、

「これは知っているだろう」
「これくらいはわかるだろう」

という自分の中の「当然」を疑わなければならない。

そして、このことはキャリアに関係なく重要なことである
と思っています。
もしかすると、むしろキャリアのある人の方が、それまでの
経験や常識に慣れすぎていて、そういったことが苦手である
のかもしれません。

長く指導しているからこそ「昔からこうだった」が増す。
でも、子どもたちの環境は変わっていく。

当たり前だと思っていたものが
今の子どもたちにとっては当たり前ではない。

今回、トランプを知らない生徒に出会ったことで、僕自身
そんな当たり前のことに気づかされました。

そして、それは僕だけではなく、自教室のコーチにとっても
大きな気づきを与えてくれる出来事となりました。

 子どもたちを教える立場だからこそ
     自分たちの「当たり前」を疑う。

トランプを知らない子どもたちに出会ったことで
僕たち自身が、そんなことを教えてもらった気がします。

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