2026.05.29「読解力がないから」 〜指導者には「便利な言葉」、子どもには「諦めを生む言葉」〜
みなさん、こんにちは。
「勉強が苦手」とはどういうことか?
について書きました。
これに関連して、世間一般でよく言われている
「読解力・国語力がない」ことによる成績不振
今日は、この件について書きたいと思います。
実は以前から何度か、このことに関連して
言い続けてきたことがあります。
あらためて言いますね。
たかだか、中学や高校の数学において
「高度な読解力」が必要になる問題など
ほとんどありません。
まず最初に誤解のないように申し上げておくと、
もちろん、読解力がゼロでは話になりません。
そんなことは当たり前で、僕が言いたいのは
数学の問題を読み取るのに必要な力は
ほとんどの子どもが、すでに持っている
ということです。
にもかかわらず、成績不振の原因を
「この子は読解力がないから」
で片付けてしまう。
僕は、そこに強い違和感があります。
僕の感覚では、
数学の問題に対して
「読解力がないからできない」
と言うのは、
スポーツ競技に対して
「運動神経がないからできない」
と言っているのに近い感覚があります。
もちろん、運動神経の差はあるでしょう。
しかし実際の指導現場では、
それだけで片付けませんよね。
「まずは運動神経を鍛えよう」
なんてことも言わない。
数学も同じだと思っています。
「まずは読解力」なんて思ったこともない。
きちんと読んで
きちんと整理して
きちんと考えれば
解ける問題も非常に多いのです。
これは「読解力」の問題でしょうか?
僕は違うと思っています。
「読解力がない」のではなく、
きちんと読んで、考える習慣が
身についていない
のです。
そして僕は、こちらの方が
はるかに重要な問題だと思っています。
なぜなら、原因を間違えると
対処も間違えてしまうからです。
「読解力不足」が原因だと思えば
先生が説明し
先生が整理し
先生が間違いを指摘する
という方向に進みやすくなります。
しかし、それでは
子ども自身が読む力・考える力は育ちません。
むしろ子どもからすれば
「ここが違うから直しなさい」
と言ってもらう方が楽なのです。
自分で考えなくて済みますから。
もちろん、
「きちんと読む」
「自分で考える」
というのは、子どもたちにとって
非常に負荷のかかる行為です。
だからこそ、多くの子どもは
無意識のうちに、それを避けようとします。
しかし逆に言えば、
そこから逃げずに向き合う習慣を
身につけることができれば
解けるようになる問題はたくさんあります。
実際、僕自身、
「きちんと読もう」
「自分で限界まで考えてみよう」
ということを繰り返し伝え、
それを実践させ続けたことで
できるようになった子どもたちを
本当にたくさん見てきました。
その一方で、数学が全くできないコを見て、
「読解力・国語力がないからできない」と
思ったことは、ただの一度もありません。
思ったことがないだけでなく、これからも
そういう考え方には、なれないでしょう。
なぜなら、それを原因としてしまった瞬間に、
「では、どうすればできるようになるのか」
を考える視点まで、失ってしまう気がするからです。
「読解力・国語力が大事」という考え方自体はわかる。
ただ、実際に子どもができるようになっていく過程を
長年にわたって見ていると、それで説明しきれるもの?
という違和感を覚えることがあります。
僕は、子どもたちの「できる・できない」を
才能だけで片付けたくありません。
「読解力がない」
という便利な言葉で、子どもたちの可能性を
雑に片付けたくないのです。
数学が本当にできるようになりたいのであれば、
まずは「読解力を上げるかどうか」ではなく、
きちんと読もう。
きちんと考えよう。
そして、「できる」と信じて手を動かし続けること。
僕は、その積み重ねの方が
よほど結果に直結すると感じています。
